デジタルな仕事、あなろぐなせいかつ

書きたいこと、書くだけ。自分用の記録。チラ裏日記、上等。

正しく怖がろうぜ

なんていうか、怖がりすぎたり、怖がらなすぎたり、極端なのは損をする。

怖がることにも、理由が必要なんだよ。

自分が納得する理由が必要なんだよ。

 

へーん、僕はこんなのぜんぜんこわくないもんねー!

ってのは、ただのアホか、蛮勇か。

 

火は怖い物である。

 

使い方を間違えたら、やけどする、火事になる、大事なものまで燃えてしまう。

だからと言って、怖いから触らない、使わない、使えない、とか言ってると、

必要なときに困るだろう。

 

逆に、怖い物であることを想像できずに扱うと、しっぺ返しを食らうことになるだろう。

 

怖いのだったら、怖いと感じるのは何故か?どこが怖いのか?どこまでなら大丈夫なのか?

逆に怖くないと思えるのだったら、本当に大丈夫かどうかを想像する必要がある。

怖くないのが偉いわけではない、と理解することも必要だろ?

 

怖いってのは、その物や事に対する自分の評価だ。

面白い、とか、かっこいいとか、自分の価値観を使った評価だ。

 

だから、怖いと思う物事に対して、ちゃんと自分が理解して、

正しく怖がって欲しいと思う。

 

それは、君たちの人生を豊かにするはずだぞ。

 

と、

 

「俺はスズメバチなんかこわくないもんねー!やっつけてやるもんねー!」

「えー、ハチ怖い!刺されたら痛いやん!」

「あんなちっこいの叩いたらおしまいや!俺のほうが強いし!」

「だって、刺されたらしんじゃうってお母さん言ってた」

「刺される前に倒すし」

 

とか言う、登校中の小学生の会話を聞きつつ、うちの子供らは大丈夫なんかなー、

とか思った父の考えでした。

 

スズメバチは怖いぞー。